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開院30周年を迎えて

「初日の出」平成22年1月1日

新年明けましておめでとうございます。皆様にとりまして平成22年(2010年)のお正月はいかがだったでしょうか。皆様方それぞれに、御家庭においてまた御自身の健康管理の上で新たな気持ちで抱負や決意を持たれたことと御推察申し上げます。
三島クリニックにとりましては、今年は開院30周年という大きな節目となる年であります。少し大げさな言い方になりますが、私には三島クリニック透析室の歴史はそのまま日本の透析医療の歴史であるとでもいえるような気がしてなりません(厳密には約10年あまりの遅れはありますが…)。
ここで少し日本の透析療法の歴史を振り返ってみますと、昭和40年(1965年)頃より国産のコイル型ダイアライザーが作られ始め、昭和42年(1967年)11月頃より透析療法に健康保険が使えるようになり急速に透析療法が普及しはじめました。その後の40年あまりで透析膜や透析装置あるいは透析液清浄化技術などが飛躍的な発展をとげてきたのです。その一部始終をみてきた私にとっては、今非常に感慨深いものがあります。
宇摩地区の透析療法の歴史を振り返ってみますと、県議会で「宇摩地区に透析施設がないため透析患者さんが遠隔地に通っている。」ということが議題になり、昭和53年に県立三島病院(当時県立伊予三島病院)に透析室が開設され私が初代の透析室長に命ぜられたのでした。私はその後都合により昭和55年(1980年)に現在地に三島クリニックを開設し、同時に透析室もオープンしたのであります。その後透析設備の改善、透析室の改築と増築、移転を繰り返して現在に至り、県内でも有数の新しい技術と設備を有する医療施設となることができました。振り返ってみますとまさに私にとってはあっという間の30年間でございました。
ところで昨年はわが国では政権交代があり、長年政権を担当してきた自民党に代わり民主党が政権を担当することとなったわけでありますが、国民全体にとって非常に大切なこれからの日本の医療は果たしてどうなってゆくのでしょうか、心配でなりません。日本の医療の現実をみますのに、日本の医療、特に地方の医療は完全に破壊され、まさに重大な危機に瀕しているのではないでしょうか。すなわち、平成16年以降政策の失敗による国家経済の破綻のつけを医療費等、福祉費用の高騰によるものなどと責任を転嫁して医師数削減や著しい医療費の抑制(毎年2,200億円の社会保障費削減)を国民に押しつけてきたのです。その上75歳以上を後期高齢者などと命名して国家の邪魔者扱いにしてしまいました。民主党には、この医療危機を乗り越え世界の中でも優秀な日本の医療(医療技術と医療制度)を取り戻してほしいと切に希望するところであります。
30周年を迎える正月にあたりまして、スタッフ全員とともに研鑽を重ねて、自分達のおかれた責任を自覚しもっともっと上のランクの施設づくりをめざして頑張ってゆく所存でございます。どうか皆様方の御協力をよろしくお願い申し上げます。

理事長 溝渕 正行

 

「透析生活に大切なこと」

今回は、年の初めの「透析室ニュース」となりますので、透析生活を元気で続けていくうえで「大切なこと・基本的なこと」を改めてまとめてみました。
☆ 透析日、透析時間をきちんと守りましょう。
できるだけ長い時間透析を受けましょう(長生きのためには5時間透析をお勧めします)。
☆ 水分管理、食事療法をきちんと行いましょう。
☆ 薬の飲み忘れのないようにしましょう。
☆ シャントの状態を毎日チェックしましょう。
血液の流れる音や感じが弱くなったり、針を刺した部分が赤くなっているとき、あるいはシャント部に痛みなどがある場合はすぐ来院してください。
☆ 毎日、血圧と体重を測るようにしましょう。
☆ 適度な運動を心がけましょう。

【食事の工夫】

先に挙げた事柄のなかでも特に重要なのが「水分管理、食事療法」です。
食事の工夫として次のようなことに注意してください。
水分と塩分をとりすぎないようにしましょう。
塩辛いものを食べた後の喉の渇きを我慢できる人はいません。水分を控えるためには塩分を制限することを心がけましょう。また、血糖が上がっても喉が渇きますので、糖尿病がある方は血糖のコントロールにも気をつけてください。
毎日起床時や寝る前に体重を測り水分をとりすぎていないかチェックする習慣をつけてください。
体重増加は透析間中2日でドライウエイト(基礎体重)の5%以内に、中1日ではドライウエイトの3%以内を目標にしましょう。

例 ドライウエイトが50㎏の方なら
中2日で 50㎏ × 0.05 = 2.5㎏ 以内の体重増加
中1日で 50㎏ × 0.03 = 1.5㎏ 以内の体重増加
(ご自分のドライウエイトで実際に計算してみてください。

〔食事の水分を控えるポイント〕

  • 水分の多いおかずの時は主食をパンやもちなどに変える。
  • 水分の多い食べ物(果物・野菜)は決められた1日量を守る。
  • 麺類は少量のつけ汁で食べ、汁は飲まない。
  • おかゆや雑炊を毎日・毎食は食べない。
  • 鍋物では野菜、こんにゃく、豆腐類の食べ過ぎに注意。
  • 豆腐料理では豆腐はよく水を切って調理する。

カリウムを控えましょう。

血清カリウム値が6.5以上になると、心臓が大きなダメージを受け、不整脈や心停止を起こす危険性があります。カリウムが多く含まれている食品の食べ過ぎに注意しましょう。

カリウムが多く含まれている食品類 (100gあたり)
いも類 野菜類 海そう類 種実類 豆類 果物類

カリウムは調理の工夫で少なくすることができます。
いも類はそのままゆでるより、小さく切ってゆでこぼしましょう。
野菜はゆでこぼしたり、水にさらすことにより、カリウムを減らすことができます。

 

食事を楽しんで栄養をとりましょう。

栄養は体にとって不可欠です。栄養失調では長生きはできません。良質のタンパク質を適正量(1日50~60g)とり、揚げ物や炒め物をメニューに加えるなどして、カロリーは十分とるよう心がけましょう。ただし、食べ過ぎには注意してください。

リンに気をつけましょう。

血清リン値が高いと、骨や関節の障害がでるだけでなく、血管が石灰化して動脈硬化が進行し心筋梗塞などの心血管疾患を引き起こし、生命にかかわります。

リンはタンパク質の多い食品に多く含まれています。また、カルシウムの多い乳製品や小魚、あるいは加工食品にも食品添加物として多く含まれています。

体重増加が多い方」、「カリウムが高い方」、「リンが高い方」は、食事療法について栄養士とよく相談してください。

 

患者様からの投稿「透析と人生を共に」 松木 文子 透析歴7年9ヶ月

新年明けましておめでとうございます。本年もどうぞ宜しくお願い申し上げます。平成21年は、新型インフルエンザが猛威をふるい皆様方にとりましても大変な一年だったと思いますが、幸いにして早くに予防接種をしていただき一安心というところでございます。
透析導入前の15年間はネフローゼ症候群という病名で、高松の大林病院、新居浜の労災病院等々、随分苦労を致しました。透析を始めたのは、平成14年4月ですが、透析導入と聞かされた時は、自分の健康管理の悪さが原因かと思い悩み、悔しさと後悔でとめどもなく溢れる涙をどうすることもできませんでした。入院中は自分自身を見失い、夜中に部屋を出てまるで夢遊病者のように廊下を徘徊し、詰所に連れて行かれた事も何度かあったと後から聞き驚きました。それほどの大きなショックだったのです。
導入して1年くらいは何も手につかず毎日泣いてばかりで、人に会うのも嫌で家の中に閉じこもっていました。ある日、ふと先生から言われた言葉を思い出したのです。「松木さんは妊娠中毒症からきた透析だ」と。そして「そうだこの様な状況では前に進むことも後に下がることもできない」ということに気付いたのです。出産して40年間は、JAにも15年間勤務させていただき、その間農業にも頑張ったではないかと思うようになった時、少しずつ頭の中がすーっと軽くなり目の前から霧が晴れた感じになり、本来の明るい自分を取り戻していました。優しい主人にも支えられ、「誰も助けてくれない病と闘わなければ。自分の病には絶対負けないぞ!」と…。それからは世の中を見る目が変わり人生観も変わってきたのです。
労災病院の外来透析がなくなり、三島クリニックにお世話になりだしたのは平成19年12月3日からでした。「光陰矢のごとし」とか申しますが、月日の経つのは本当に早いものでもう2ヶ年が過ぎました。三島クリニックの高度な医療設備、衛生的な施設を目の当たりにして驚きで一杯でした。また、先生初めスタッフの皆様がとても親切で心細やかな気持の温かい方達ばかりで、申し分ない良き環境に感謝しつつ安心して透析のできる素晴らしさを味あわせていただいて居ります。信頼できるスタッフの方ばかりで何時も有難いと思う気持で一杯です。
私は小柄ですが食欲は旺盛で、お昼の給食が待ち遠しくてなりません。美味しさの余り毎回完食しています。当初は迷惑ばかりかけていた私ですが、先生やスタッフの方々に支えられ、今は5時間という長い透析に、自分の人生は自分と透析との戦いと日々新たな気持で頑張っています。これからの人生はまだまだ続きますが、自分の透析人生を苦にせず先生初めスタッフの皆様に見守られながら明るく楽しい人生にしたいと念願して居ります。幸いにして、隣のベッドの近藤さん(透析に関しては良き先輩です)にはいろいろアドバイスをしていただき、調子の悪い時は声をかけて下さる頼りにしている方です。
今一番後悔している事と言えば、何故もう少し早く三島クリニックに移って来なかったかということです。最後になりましたが、送迎をして下さる運転手の皆さん、本当にありがとうございます。心よりお礼を申し上げます。